頭の中の思いに
色のピントを
あわせる仕事
東播染工には2002年に入社し、染色と加工を交互に経験して今に至ります。
色って難しいんですよ。たとえばイエローは警告色だから人の認知はブレにくいけど、色を見る場所が蛍光灯、白熱灯、間接照明の有無などで全く変わるグレーやカーキ、ベージュみたいな微妙な階調は環境や感覚に作用されやすいんです。そういう“環境色”の話など昔は現場を知っているデザイナーさんも多かったのですが、経験が少ない方も増えていますし、間に入ってくださる商社さんを介して伝わってくるご要望も多いので、今はどんな環境で色を見ているかを知り、それに合わせて色を作っていくことをやっています。しかも東播染工は糸染、織、加工を一貫してやっていて、色はその過程でも変わり得るでしょう?
数値で測れない部分を
補うもの
たとえば平面的な生地って光の反射率が高いから白っぽく見えますよね。でも凹凸のあるものだと影が生まれるので暗く見える。同じ色で染めてもそのぐらい違いが出るわけです。
そうそう、好きな生地を持ってきました。
そうそう、好きな生地を持ってきました。
この生地、ヘリンボーンだから凹凸が出て影も濃いでしょう?生地に置いて色の濃さや深みって大切。たとえば東播の生地で「ジェットブラック」は本当に黒いでしょう?その黒さを出すことってF-1カーを作るのに近いかな。まさに少量で特別なものを作るという意図で生まれたもの。でもこのヘリンボーンは先染め糸と組織でまた違った深みも作れるんだと。
白には200色あるっていう名言もありましたけど、それこそカーキみたいなニュートラルには1000色、黒ももちろんたくさんあるんです。製品になったらわかることでも、糸だとまた違います。ニット糸を染めて取引先に納品する場合など、編み上がりの製品を知らないまま糸を染めることになるんですよ。だからオーダーの内容から最終的に何を作るのか、何を希望しているのかを想像して色を考えます。たとえば、ニュートラル色が9、アクセント系が1みたいなオーダーが来たら、これはきっと全体を抑えて、効かせ色を小さな柄やポイントで使うのかな、そうだったら、散りばめた時に色が沈まないようにちょっと調節したらいいかな、みたいな感じにね。もちろん完成形を知って取り組みたいとは思いますよ。試色すると時間とお金もかかるから、そこを現場の私たちが経験と想像で補えたらと。
白には200色あるっていう名言もありましたけど、それこそカーキみたいなニュートラルには1000色、黒ももちろんたくさんあるんです。製品になったらわかることでも、糸だとまた違います。ニット糸を染めて取引先に納品する場合など、編み上がりの製品を知らないまま糸を染めることになるんですよ。だからオーダーの内容から最終的に何を作るのか、何を希望しているのかを想像して色を考えます。たとえば、ニュートラル色が9、アクセント系が1みたいなオーダーが来たら、これはきっと全体を抑えて、効かせ色を小さな柄やポイントで使うのかな、そうだったら、散りばめた時に色が沈まないようにちょっと調節したらいいかな、みたいな感じにね。もちろん完成形を知って取り組みたいとは思いますよ。試色すると時間とお金もかかるから、そこを現場の私たちが経験と想像で補えたらと。
注文書を
形にするのではなく
私自身、加工の現場にもいたんですが、加工では「もっと柔らかく」とか「ハリを強めに」のように、数値より手や指、皮膚感覚を問われます。でも色の世界もまた違った意味で数値以上なんです。「もうちょっと濃いめ」みたいなふわっとした要望があるという意味だけでなく、「深さを30%ぐらい強め」みたいに数値で会話したとしても、実際その30%は数%の違いだったり、濃度10%あげてって言うオーダーであっても、それでは肉眼で識別できない場合もある。だからやっぱり相手がどんなものを望んでいるか読み取らなければね。結局加工も色も数値化できる正解はないんです。私たちはいただいた要望を形にするけれど、ピントを合わせるのはその注文書に書かれた色ではなく、どんな製品になるのか、さらにはこの要望を出した人の見ている世界や頭の中にある色ですから。
大切なのは
人間力と責任感
染めの現場といっても、私がやっている色見という仕事もあれば、調色の人、現場で機械を扱う人たちなど様々な役割があります。東播染工にはいろんな現場を経験した人たちが要所にいて、よくやっているいい会社だなと思います。染めの現場に関しては色の想像をすることよりも目の前の機械の調子、挙動を一番気にします。ちょっとした微調の違いってあるんですよ。その時点で気がつけば対処できたということも。色を作り出す人がいても、それをきちんと仕上げていく現場がいないと成り立たない。どのポジションも作業ではないんです。責任持ってやり遂げ、失敗も経験することで成長するんだと思います。なぜなら最後まで責任を持つことでちょっとした違いがわかるようになる、その積み重ねで感度が上がるからです。